ブラジルコーヒーと日本コーヒー文化の関係

明治21年4月に日本初の喫茶店「可否茶館」が登場して以来、コーヒーを楽しめるお店が増えていきました。日本においてコーヒーが一つの文化と言えるほど、多くの人に親しまれていく中で大きな役割を果たしたのが、「カフェ・パウリスタ」です。

・ブラジルから日本に無償提供されたコーヒー

「カフェ・パウリスタ」は、安価にブラジル産コーヒーを楽しめる喫茶店ということで繁盛したお店です。地球の裏側の国のコーヒーを安く提供できたのは、日本とブラジルという2国の関係性に理由があります。明治時代の後半に多くの日本人がブラジルへ移民として働きに行きました。そのうちの多くは現地のコーヒー農園で仕事をしました。ブラジル政府は日本人の労働力の見返りとして、コーヒー豆を無償提供しました。その豆を使うことで低価格のコーヒーを提供できたのです。

・「カフェ・パウリスタ」から日本のコーヒー企業誕生まで

「カフェ・パウリスタ」が店舗を次々とオープンし、事業拡大を経て日本でコーヒーが大衆化し、ひとつの文化へと確立されていきました。後にひとりの日本人従業員が独立し、横浜市でコーヒーショップを始めます。それが後のコーヒーに関する総合企業である「キーコーヒー」です。

・事業拡大によって発展した日本のコーヒー文化

現在のキーコーヒー株式会社は、創業当時「コーヒー商 木村商店」という名称でした。コーヒーを提供するのみならず、コーヒー器具の紹介や農園事業、さらにはコーヒー用シロップの開発と、事業を拡大していきます。企業の発展とともに、国内でのコーヒーの認知や消費の拡大に貢献し続けています。